キューバ、小さな国の大きな格差

2018年3月、就職前夜。学生生活最後のまとまった時間をどう使うか。キューバ行きを決めるのにそう時間はかからなかった。

就活に嫌悪感を感じた。学生が似合わない黒いスーツを着て、大人が喜ぶ言葉を並び立てて、養ってもらう会社を選んでもらう。お金が切れたら、人間は住む場所を失う、飢える、人から見下される。そんな恐怖に突き動かされて、人間は労働を求める。

就活せずに食っていく方法を探すも、それは就活以上に険しい道であることを悟った。流れるように身を任せ、そして気がつけば、社会にでる一歩手前まできていた。

ひねくれているかもしれないが、お金無しで暮らせない社会を作り、その上でお金を餌に人間を労働させる仕組みが資本主義だと考えていた。そして、その社会に生きる以上、逃れることはできない運命であるとも諦めていた。

そんな中で気になった社会主義。ソ連崩壊後に生まれた自分にとって、歴史でしかなかったが、資本主義の対極としての存在に興味を持った。

社会主義の数少ない生き残り、キューバ。それまで思い描いていたキューバは、資本主義超大国アメリカの圧力に屈さず、社会主義を貫く小さい国。そこに住む人に会えば、自分の常識を超えた人生観に出会えると思った。

メキシコシティから飛行機で3時間ほど。降り立った初キューバは、生暖かい風と肌にまとわりつく湿気が南国を感じさせ、鼻につくガソリン臭にも不快感を感じなかった。

路上に流れるサルサ、道端で座りこんでお話する中年男性たち、公園で凹んだサッカーボールを追いかける小学生くらいの子供達、外装のはげたコンクリートの建物のバルコニーで飲み物片手に涼んでいるおばさん。

夕方になると、ローカルも涼みに路上へと繰り出す
どんな話をしているのだろうか

我々からみた「貧しさ」と隣り合わせのような景色の中にも、そのひとときを楽しんでいる人々の横顔が見れた気がした。金が全てでない。初日から、資本主義に抗う期待通りのキューバがそこにあった。

しかし、現地民に話を聞けば聞くほど、社会主義の理想が崩れ去った。結局はお金であると。

まずは外貨獲得の重要性。旅人がよく発信していることでもあるが、キューバには2種類の貨幣がある。人民ペソと兌換ペソ。前者はローカルバスや食堂でのご飯など、現地民も使用するものの支払いに使い、後者はタクシーや宿泊、バーで必要になる。

ローカル食堂のテイクアウトディナー。100円くらい。
レストランで1,000円くらいすることを考えると、安い。

元々は国の外貨獲得政策により、ローカル用・外国人用に分かれていた。ただ今は、贅沢品かどうかで使い分けされている。

キューバ人も兌換ペソを使用できるようになったわけだが、兌換ペソと人民ペソのどちらを稼ぎとして受け取るかは、職業によって異なる。キューバ国民の多くは公務員(野球選手まで!)で、給与は人民ペソで受け取る。一方、外国人観光客を相手するタクシードライバーやゲストハウス経営者は、基本的に外国人から兌換ペソをもらっている。

受け取る貨幣が異なることが、キューバ国内の経済的格差を広げている。1兌換ペソ=1米ドル=24人民ペソと固定レートで決まっているが、それは現地民と観光客の間に24倍の経済的格差を作り出す前提がある(博物館の入館料も現地民10人民ペソ、外国人10兌換ペソのような料金差がある)。兌換ペソでビジネスを行うキューバ人は、自国民相手では得られない利益を外国人観光客から得られるようになった。

また、この格差が賄賂を生んでいるとの話もきく。公務員の給与が相対的に低いために、副業なしで生活を成り立たせるのが難しくなっているという。

宿のオーナーから聞いた話だが、ゲストハウスは政府から許可をもらって経営しているものの、毎月のように抜き打ち検査があり、細い規制を盾に難癖をつけられるらしい。ただ、毎回数千円の賄賂を渡せば見逃してもらえるため、実質役人の小遣い稼ぎになっているとのこと。

金があるところに人は集まる。食堂まで国営だったキューバでも、個人経営のレストラン開業が許されるようになった。ただ、安くて美味しいと現地民に人気だった食堂が突然閉店したと聞いた。理由は正確にはわからないが、賄賂を支払わなかったことが原因だと思われている。

社会制度は変われど、結局人間は欲にまみれている。人間の特性を変えることはできない。であれば、自分は社会に飲まれないように、世の中を俯瞰して生きていたい。

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